(ジャックの背後から銃口を押し付けている男は、低く小さな声で、インカムを通じ、雇い主の意向を確認しているようだった。バウワーの耳には、2人とも殺して処理するか、2人とも生かして連れていくのか、それともバイデンだけ連れていくのか、という点を最終確認しているように聴こえる。・・・30秒ほどのコミュニケーションの後で、背後の男は Roger ! と締め括った。「Roger」は「Received and understood」を意味する軍隊用語である。インカムの男が表情で指示すると、正面の男は、コルト・モニターの銃身で、バイデンの顎を押し上げ、「立て」という素振りを示した。両手を後頭部に回したまま、老紳士がゆっくりと立ち上がると、正面の男は背中に銃口を押し当てながら、後ろからバイデンを突いて歩かせ始めた。どうも「バイデンだけ連れていく」という選択肢だったようだ・・・。だとすれば、残った1人の運命は決している。しかし、少しでも妙な動きをすれば、その運命の到来が早く来ることも明らかだった。とはいえ、動かなければ、その運命は確実にやってくる。動くべきか否か・・・最後の決断をバウワーが下そうとした、まさにそのとき、ゴリッと銃口が強く押し当てられ、ジャック・バウワーはその運命が到来したことを覚悟した。・・・)
(パンっ・・・。銃声が鳴り響くと同時に、ジャック・バウワーに押し付けられていた銃口の圧力が緩んだ。予期せぬ展開に遭遇し、ジャックは両手を後頭部に回しながら、額を地面につけ、聴覚だけで情勢を窺う。次に速攻で聴こえたのは、パンっ、パンっ・・・という銃声と、ドサッ、ドサッ・・・という人間の身体が倒れる音。「ジャックっ! 大丈夫か!」―― そして、次に鼓膜に届いたのは、聞き覚えのあるトニー・アルメイダの少し甲高い声だった。スマートフォンのGPSを追ってくれていたんだな・・・。ゆっくりと顔を上げると、トニーが向こうから歩いてきていた。どうやら、追っ手は8人だったようだ。ジョー・バイデンは、放心状態で座り込み、天を見上げて、神に感謝の言葉を捧げている。)
Thank God・・・。ああ、神よ、感謝します。私は、まだ生きて、為すべき使命があるとおっしゃるのですね。ヒラリーを・・・あのビッチを・・・天国ではなく、地獄に確実に堕とすために、私の命をお救いになられた・・・。本当に感謝します。私は、必ず、あのビッチを地獄に堕としてみせます。ええ、堕としてやりますとも・・・。民主党は汚れ切っています。中国共産党に骨の髄まで冒されてしまっています。私のようにカネで魂を売った者だけでなく、中国スパイのハニートラップにはめられてしまった者も少なくありません。カリフォルニア州下院議員のエリック・スウォルウェルが好例です。カリフォルニア州の市長2人も、同じ女スパイにやられました。上院議員のダイアン・ファインスタインが20年間雇っていた運転手も中国のスパイでした。これまでに、私が犯した罪は許されるものではないことは分かっています。しかし、私は、最後の審判の際に、あなたに聞いていただけるだけの善行を、この世で為し遂げたうえで、あなたのもとに参ります。・・・
(戦況を瞬時に判断したバウワーに、バイデンの懺悔を聴いている暇は無かった・・・。軍用ヘリのプロペラ音は、それなりに距離はありながらも、バリバリバリ・・・とバウワーたちの耳に大音響で聞こえてくる。「トニーっ、バイデンを頼む!」―― ショットガンを拾い上げ、即座にフレシェット弾3発を装填したジャック・バウワーは、バリバリバリというプロペラ音が発信されている音源に向かって、一目散に走った。軍用ヘリの奴らは、会話の一部始終を聴いていたはずだから、俺を殺してバイデンを連れてくる味方を迎えるために地平スレスレにまで降下しているはずだ・・・。そうならば、攻撃態勢は解除されている・・・。トニー・アルメイダが3人を瞬殺したことにまだ気付いていない可能性がある・・・。急げ・・・・・・。バウワーは、苔むして滑りやすくなっているトレイルを弾丸のように駆け抜けると、軍用ヘリがまさに草原に着地しようとしている現場に遭遇した。躯体左側のドアを開け放ち、丁度飛び降りようとしている敵兵を見つけると、ショットガンからフレシェット弾1発を浴びせた。そして、その次の瞬間には、開ききった軍用ヘリのドアから、操縦席にいる敵兵を射殺し、周りを見渡した。どうも、他に敵兵はいないようだ。・・・)
(トニーっ、敵は殲滅した。こっちに着地している奴らの軍用ヘリを操縦して、ベルベディアビーチまでの道を、上空から俺たちを援護してくれっ!・・・ああ、そうだ。・・・・・・お前の足はどこにある!・・・そうか、分かった。・・・その車の鍵をくれっ・・・それから、耳に入れる通信用のインカムもだっ・・・Thank you・・・また、助けられちまったなぁ。この借りは、必ず返すぜ・・・・・・。バウワーが慌ただしく、次のステージに進むためのアクションを準備している間、一命をとりとめた高齢の政治家は、まだ、天を仰いで神への祈りを捧げていた。)
思えば、エリック・スウォルウェルは、かわいそうな若者でした・・・。有望な地方政治家を標的に親中世論を創る工作をしていた美貌の中国スパイに見初められてしまったのです。美人スパイは、彼を「中国共産党寄りの下院議員」に仕立て上げるまで、性的に満足させるだけでなく、選挙活動のための資金なんかも、すべて面倒を見てきました。エリックは、美人スパイに誘導されるがまま、トランプのロシア疑惑を追及する急先鋒として頭角を現していきます。そして、私のライバルの一人として、大統領選における民主党候補の指名争いに食い込むまでに成長しました。彼はロシア疑惑を諦めることなく、いまでも、「ロシアはトランプがお気に入りだ。民主党を倒すために積極的に動いている」などと民衆に訴えています。私と違って若いので、彼は、いつの間にか彼の内部の奥深いところで、中国共産党の教えを自分の信念にまで昇華させてしまったのでしょう。
だから、国家情報長官のジョン・ラトクリフが、「中国が現在の米国にとって最大の脅威であり、世界の民主主義と自由にとって第2次世界大戦後最大の脅威だ」と主張したことについても、猛烈に反駁しました。ラトクリフが、中国が米国の企業秘密と防衛技術を盗んでいると指摘しても、中国のスパイ活動は経済的な圧力によって米議員に影響力を及ぼしたり、間接的な攻撃をかけたりしていると述べても、まったく耳を貸さず、彼の警告を批判する側に回りました。彼は、FBIから「あの女は中国のスパイである」と警告された2015年に彼女を失いましたが、そのときから当局の情報に対して不信感を抱いています。実際は、スパイの彼女のほうが危ないと思って、中国に逃亡したのでしょうが、彼女に身も心も奪われてしまっていたかわいそうなスウォルウェルは、彼女が中国に帰国してからも連絡を取り合い、貴重な情報を定期的に彼女に届けていたのです。その事実が公になり、彼は、今回、国家機密を扱う情報委員会から排除されることになりました。
ああ神よ・・・。彼の罪を赦したまえ・・・。彼が犯した罪は、ヒラリー・クリントンと比べれば、1億分の1にもなりません。彼など、中国共産党が米国において操る数百もの駒のひとつにすぎないのです。私は、彼よりは大きな駒ですが、それでも駒にすぎません。私たちのアメリカを、神の国であるアメリカ合衆国を救うためには、私やスウォルウェルのような大小の駒を排除するだけでは足りないのです。その程度では、アメリカ合衆国の魂が清められることはありません。このままでは、アメリカの魂は完全に汚されてしまうでしょう。私は、アメリカの魂を清めるために、アメリカ合衆国の魂を中国共産党に奪われないようにするために、残り少ない人生を捧げます。ああ、神よ、私をお導き下さい・・・。
(ちょうどエリック・スウォルウェルのハニートラップ事件は、米国のお茶の間を賑わせていた。トランプ大統領は、「スウォルウェル氏は私をロシアのスパイ呼ばわりする間、中国スパイと一緒に寝ていた。取り返しのつかないことだ。そのような愚か者がどうして情報委員会に座っていられるのか?」と攻撃し、これまでの鬱憤を晴らしていた。トランプの矛先は、スウォルエルに止まることなく、メディアや民主党全体に向かう。「主流メディアは中国を愛し、米国を憎んでいる。民主党と同じだ。もしこれが共和党員の身に起きたならば、彼らは一斉に辞職を求めていただろう。彼らは中国共産党の米国支部だ!」とこき下ろした。トランプの息子のトランプジュニアは、さらに舌鋒鋭く、「CNNは、この点において中国スパイと同じくらい悪だ。しかし米国人の利益を守るふりすらしない彼らは、中国スパイの足元にも及ばない。彼らは中国共産党のマーケティング部門かもしれない」とまで批判していた。)
(ハニートラップに関しては、身に覚えのあるジャック・バウワーは、スウォルウェルのことを、お茶の間のように、激昂したりバカにすることもできなかったが、FBIから指摘を受けた後も情報を流し続けたことについては、どうしても許すことができなかった。知らない間に、敵と情交した場合であっても、プロフェッショナルとして、公私の別については、自分自身に厳しく律し続けてきたからだ。人間だから、どうしても「私」の部分が緩むことはある・・・。しかし、その緩みを「公」に及ぼす者は、到底プロフェッショナルとは言えない。ましてや諜報や外交に係る者が、守るべき「公」をないがしろにすれば、国は亡びる。・・・まさに「アメリカ合衆国」という存在を支える魂は、滅亡するか否かの分水嶺に立たされていた。)
――「24-Twenty-Four-《ジョー・バイデン物語》第32話(2/1予定)」に続く。
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